東京電機大学 教授 片山 恒雄
私は何度も中国へ行ったことがある。どれにも、それぞれの思い出があるが、1980年に日本の橋梁技術代表団として初めて訪れたとき、その翌年、唐山地震の調査のために訪れたとき、それから義母、家族全員で旧満州鉄道終点のマンチュウリまで行ったときのことが特に強く印象に残っている。
最初の中国訪問から四半世紀が経つ。最後に中国に行ったのは、4年ほど前にハルピンで会議に出席したときのことであり、北京に行くのは10年ぶりくらいになるだろうか。この間の中国の変化にはまさに目を見張らせるものがある。街中に林立する高層ビル、高速道路、生活スタイルの変化、どれをとってもすさまじい。1980年に行ったときには、北京飯店が最高級ホテルだった。古めかしいレンガ造りの外装がいかにも歴史を感じさせた。その前の大通りを朝夕自転車に乗った人民服の人たちの大群が行きかう様子には、怖いものさえ感じた。今は、北京市民の10人の7人が自家用車を持つという。
北京飯店の横にある王府井は、昔から賑やかな買い物通りだったが、当時は、狭い通りの両側に屋台のお店が並んでいるという印象だった。今はまるで変わった。道幅も広がり、きれいなレンガ敷きになった通りは歩行者天国で、その両側にはマクドナルドや外国の有名ブランド店がずらりと並ぶ。
今回の訪中は、国際地震工学会(IAEE)会長として、2008年10月に北京で開催される第14回世界地震工学会議(WCEE)の準備状況を視察すると同時に、開催にかかわるいくつか問題点を組織委員会の人たちと相談するためであり、IAEE事務総長の家村京都大学教授にご同道を願った。2007年10月21日の昼過ぎ成田空港を出発、大連経由で夕方遅く北京着。安い切符を買っていったのだが、エージェントが大連経由ということを教えてくれていなかったので、少し戸惑った。それに、荷物が行方不明になった。中国の人たちはよくあることと、まるで心配してくれない。(実際、翌日出てきた。)
サーキュラーなどですでにご存知の方も多いと思うが、14WCEEは北京といっても、市内から少し離れた「九華山庄 (Jiuhua Resort & Convention Center)」で2008年10月12日から17 日まで開かれる。この場所は、会議場、展示場であるとともに、参加者の全員が泊ってもまだ余裕のあるホテルスペースを持ち、温泉も出る。最大の会場は3,000人収容、150人程度を収容できる20ほどの会議室が同一フロア内に整然と配置されている。私は、これまでに13回開催されたWCEEの内の10回に参加したが、これほどの会議場は見たことがない。これらの施設の全部が1つのビルに入っているわけではない。いくつもの建物があって、いろいろなレベルのホテルがあり、それらがモノレイルでつながっている。会議を開催する建物は、それらの中で最大ビルであり、会議室等のほかに最高級の五つ星ホテルが入っている。
会場の視察に加えて、今回決着をつけておきたいことが2つあった。1つは、WCEE参加費からのIAEE活動基金への寄付の件であり、もう1つは今回のWCEEにおける台湾の呼称の問題である。
WCEEの参加者の参加費から、ある割合のお金をIAEEの運営費用としてもらうことは、2004年バンクーバーで開かれた理事会での決定事項である。これまでも出ては消えていた案件だが、家村事務総長が努力の結果、合意を取り付けたものだ。参加費の3%または25ドルのうちの大きいほうを参加者1人当たりから寄付していただこうというものである。今回の参加費は400ドルという、最近の国際会議では例を見ない低価格に抑えられた。この3%は12ドルだから、理事会の決定によれば、25ドルの寄付をお願いすることになる。しかし、中国側の対応はきわめてタフであり、これまでなかなか決着をみていなかった。今回の話し合いの結果も100%満足といえるものではなかったが、1人当たり20ドルということで決めさせてもらった。会長としての独断と言われても仕方がない。しかし、中国側が参加費を400ドルに抑えた努力は十分評価に値すると思ったのである。全体を見れば、適切な妥協点だったと思う。私なりの理由付けはこうだ。仮に参加費を800ドルとすれば、1人当たりの寄付は24ドルとなり、25ドルとほぼ同じになる。しかし、参加者にしてみれば、参加費が400ドルと800ドルでは倍半分もの違いがあり、これを400ドルに抑えてくれた努力に報いる意味があるのではないか。
台湾の呼称については、中国側は、”Chinese Taiwan” でよいとのことであり、その場で台湾の代表に国際電話をかけて直接OKをもらった。
合意したことのうちでもう1つ大切なのは、開催期間中における展示に協力する団体を出来るだけ増やそうということである。中国国内機関への呼びかけと参加はかなり進んでいるようだが、日本にかける期待は大きい。展示場はきわめてよく整備されており、標準3m x 3m のブースが1,500ドルという値段も手ごろである。中国で建設工事を行っている建設会社、将来考えている建設会社はもとより、中国と関係の深い大学や研究機関の強い協力を期待したい。
北京には2日間滞在したが、2日目には、建設中のオリンピック施設などの市内見物をした。テレビなどですでにお馴染みになっている「バードネスト」と呼ばれる巨大な競技場、それに水泳競技場が入る「ウォーターキューブ」などである。ともかくびっくりしたのは、民間資本が中国を動かしている様である。オリンピック施設のすぐそばに選手の宿泊用の施設が建設中であったが、数棟の高層ビルはオリンピック後はホテルになる。競技施設も宿泊施設も国から40%の補助を受けて民間資本がつくっている。30年間は民間が使用の権利を持つという(数値は記憶によるもので少し怪しい。)。 14WCEEの会場となる巨大ホテル/会議場/展示場/温泉娯楽施設群も民間資本でつくられたものだ。
第2回世界地震工学会議が日本で開催された1964年は、東京オリンピックの年である。今の北京を見ると、あの頃東京で起こったことが、時間を縮めて、一気に起こっているように思える。それ以上の変化といえるかも知れない。初めて中国を訪れた1980年には、北京飯店に泊まった。朝ごはんはいろいろな薬味のついたおいしいお粥だった。最近の北京のホテルは、欧米諸国のホテルと何も変わらない。朝食は、ビュッフェ・スタイルが多く、ウエイトレスの胸についたバッヂには、ジューンとかヴァレリーとか、横文字の名前が書いてある。四半世紀前の北京空港、空港から市内までの道路を思い出すと、本当に急激な変革が起こりつつあることを感じざるを得ない。ある人に、いま私にお金を預けてくれたら1年で倍にしてあげると、言われた。半分は冗談だろうが、ともかく、現在の中国の変化はすごい。ただ、このバブルがはじけるときは怖い。(2007.11.26)
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