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トルコ旅記(その4)

 東京電機大学 教授 片山 恒雄


2001年1月11日(木)- 4日目

アダパザルの被害は地盤災害

 ホテルを8時半に出発。アンカラへ向かう。サカリヤ県とデュズジェ県が視察の対象である。これらの県は8月17日の地震のみならず、同じ年の11月の地震でも大きな被害を受けた。

 9時半、サカリヤ県庁で副知事と会う。サカリヤ県の県庁所在地アダパザルの中心街は、マルマラ湾から東に続く湖の東岸に位置している。ほぼ断層の延長上にあり、地盤も軟弱である。ここは、前にも何回か地震被害を受けたという。マルマラ地震によって壊滅的な被害を受けたビルが多く、大通りに面するそれらのビルを取り壊した後に、平屋建ての仮設のお店が並んでいる。11月の地震でも再度被災した。副知事のあいさつの後、(どこでも日本に対するほめ殺しで気味が悪い)、新聞記者の1人と話をする。「ここでは地盤が問題」という。

 1997年の統計によれば、サカリヤ県の人口は73万人(うち都市部50万人)、地震により3,891人が死亡した。建物被害は中破以上が5万3,600戸、大被害は2万9,700戸に及ぶ。水道の85%が被災し、550キロの工事が必要となった。これまでに約51%の復旧が完了したが、全部の復旧は2年後の2003年になる。

 地震直後には4万2,745のテントに12万人を収容した。しばらくして8千テント、53テント村、3万3,770人までに減少し、ほとんどは2000年1月までに撤去した。3万7千人はプレハブ住宅に収容した。

 被災者用住宅は、この地域では2001年1月、すなわち私たちの訪問の月の終わりまでに、6,208戸分が完成し、電子くじ引きとでもいうべき方法で、入居者、入居場所などが決められる。80平米基準と100平米基準のどちらになるか、どの棟に入るかなど、まったく感情を入れずに決めようというドライなやり方である。このドライさ加減が、もともと借家住まいの人たちは、まずは放っておこうという、これもドライきわまりない政策と結びつくのだろう。

GISが流行語

 仮設の県庁で、地震後、大学から危機センターに出向してきた若い研究者が英語でブリーフィングしてくれた。この人がもっとも熱っぽく語ったのは、アダパザル市を対象に開発したGIS(地理情報システム)に関してであった。

 GISはマルマラ地震がトルコに残した流行語の一つである。高々1年でこれだけのシステムをつくりあげた熱意は買うが、GISで地震は減らない。このような新しいシステムを使った危機管理手法が着実に根付くためには、これからのメンテナンスが大切だ。そのためには、ビジョンとお金と教育を受けたスタッフが必要という意見はわかる。これから、どう有用に使われるかを見守りたい。

 その後、1992年にできたサカリヤ大学を訪ねた。学長がじきじき説明してくれたが、この学長は大変な切れ者と見た。今はまだ緑の少ないキャンパスだが、この学長がいるかぎり、そのうち形も内容も一流に近づく予感がする。シーメンスなどのヨーロッパ大企業が校舎などを寄付している。

 まだ実力は不明だが、今のうちから投資しておく価値がある。日本はえてして、出来上がったものへの投資しか考えないが、将来性にかけるという積極性が必要だ。マルマラ地震を契機にして、地震防災分野の研究へ手を広げたいという態度が強くみえる。学長の腕力からして、その方向へきっと向かうだろう。

 昼食はアダパザルの復旧計画事務所で和食をいただく。ごはん、みそ汁、野菜の煮付け、唐揚げと和風サラダ。トヨタの合弁会社のコックさんがつくってくれたもの。

 アダパザルの被災者用住宅のうち3,300戸分が建設中のカラマン団地を訪ねる。家具付き、絨毯を敷いて完成したアパートを見る。メディアが10人ほど一緒だ。今回のトルコ政府の招待の1つの理由は、住宅計画の進捗状況を日本の専門家立ち合いのもとで国民に示したいということか。1戸当たり1万ドル相当を政府がローンとして担保するという方法は、見かけ上は大成功だ。ただし、この大きな出費が国の財政をどの程度圧迫するかはわからない。

県知事のぼやき

 1995年兵庫県南部地震の後、神戸で使われた被災者用の仮設住宅1,500戸がトルコ政府に提供された。その一部を使ってつくられたて日本−トルコ友好村をかけ足で視察した。時間がなかったので車から降りなかった。見慣れた神戸の仮設住宅である。感無量であった。家と家とのあいだは神戸より広い。冬は寒いだろうと改めて感じる。

 デュズジェ県に知事を訪問。この県は1999年8月と11月の2回の地震後、トルコ81番目の県となった。知事席に座っていかにも知事らしく話し振る舞っていた県知事も、復旧、復興問題の難しさには参っている感じだ。現場に行く時間はなかったが、7千戸分の住宅建設もほかの地方に比べると少し遅れているようだ。何となく自信のなさそうな知事の様子を、岡田黄門さまは、「県知事のぼやき」とメモされたそうな。

 日本からの研究者グループが支援してデュズジェ市のGISプロジェクトをやっているところを訪問した。まず、このプロジェクトを紹介するぎょうぎょうしいビデオを見せられた。もう少し控えめにできないものか。ここは市の都市計画局の地震後の仮住まいといった場所だが、GISのお勉強が1部屋を占領している。善意から出たものであることは確かだが、正直いって、私には、研究者のお遊びとしか思えなかった。修羅場にポケモンの人形を送ったようなものとは黄門さまの言だが、いいえて妙である。趣味的なGIS研究と市長の悩みのギャップはあまりにも大きい。

 デュズジェ市の中心部7万戸は2回目の11月の地震で大被害を受けた。このうちの4万戸は新しい場所に被災者用の住宅団地をつくって移す。さて、大被害を被った市の中心部をどう活性化し、インフラを耐震的に整備したらよいのか。お金もない。これが知事の最大の悩みだ。一方、夕食を一緒にした被災者用の恒久住宅をつくっている建設コンサルタントの責任者は元気が良い。これらの建物の建設経費は間違いなく国が払ってくれるのだ。左うちわの建設会社などに、跡地問題を考えることを義務付けてもよいと感じてしまうほどだ。

 アンカラのホテルに到着したのは夜10時半過ぎ。(その4の終わり)


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