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George W. Housner 先生を偲んで


写真1
G.W. ハウズナー先生

 2008年11月10日に、「地震工学の父」といわれてきたGeorge W. Housner先生が亡くなられ(享年99歳)、ほぼ1年が経過しました。Earthquake Engineering and Structural DynamicsやEarthquake SpectraにPaul C. Jennings先生が追悼文を載せられており、読まれた方も多いことと思います。

 誕生100年、一周忌を記念し、学会HPにハウズナー先生の追悼文を載せることが企画され、その執筆を依頼されました。ハウズナー先生が興された「地震工学」研究を通じて懇意であった先輩は大勢おられ、固辞すべきとも思ましたが、多くの方に敬愛された巨匠であり、また、私にとっても大きな存在であった先生のことを書かしていただけるのは大変名誉なことと思い、お受けすることにしました。

 ハウズナー先生は1910年12月9日にミシガン州で生まれ、ミシガン大学で土木工学を修められました。そのあと、カリフォルニア工科大学に進まれ、修士号をとり、6年間 民間で働いたあと、再びカリフォルニア工科大学に戻り、 1941年にPh.D.の学位を得ておられます。その1年前の1940年といえば、エルセントロで本格的な強震波形が初めて記録された年であります。指導教官は構造工学のR.R.Martel先生でした。Martel先生は、末広先生(元東京大学地震研究所長)の友人であり、地震工学にも大変、興味をお持ちだったとのことです。博士論文のテーマは、ねじり振り子を利用して、1自由度系の地震応答の計算法を提案、実行するものでした(図1)。 地震工学に初めて「解析」的志向を持ち込んだ先駆的研究であるといえるかと思います。その後、ハウズナー先生は、あまりに有名で今でも耐震設計の一つのベースとなっている「設計応答スペクトル」と提案されました。先生は地震工学に関する基本的かつ工学的意味の大きい問題を次々と手がけられました。剛体の転倒問題、石油タンクのスロッシング、ダムの動水圧、地震被害とスペクトル強度SIの関係、つり橋の振動解析などがその例です。すべての研究テーマが、その後の研究分野を形成するものであったといっても過言ではないと思います。先生の主要な論文は、ASCEから本(図2)としてまとめられており、関心のある方は購入を是非お勧めします。それから、P.C. Jenningsほか非常に多くの研究者を育てたことでも有名です。

 先生の論文はどれをとっても、複雑な現象の本質を出来るだけシンプルな物理モデルで説明しようとするもので、一言でいえば「美しく、鋭い」研究です。私の大学院の講義では、毎年、ハウズナー先生の論文をいくつか選んで、学生に読ませます。課題がどのようにして選ばれたのか、課題にどう取り組むのかが伝わってくる明快に記述された論文は、次世代を担う研究者や技術者の卵にとって欠かせない素養の醸成につながると思っているからです。

 先生の生い立ちから始まって、研究、教育、耐震設計、地震被害調査...様々なことを同僚のStanley Scott先生がインタビューされたものが一冊の本としてまとまっています(図3)。これは先生の思考や思想をいろいろな角度から知ることができるもので、これも自信を持って勧められる本です。

 私的なことになってしまいますが、先生とのお付き合いに関連したことを少し述べさせていただきます。

 私自身、地震工学を少しかじりはしましたが、地震工学を専攻してきたわけではなく、先生と直接、お話する機会をもったのは、それほど前のことではありません。最初にお話できたのは、1992年のハワイでの構造制御に関するワークショップのときであったと思います。そのころ、先生は新しい分野として「構造制御」に注目され、大いに期待しておられました。そんな関係で開かれたワークショップでしたが、先生からいろいろと研究の話を伺い、私の研究にもコメントをいただくことができました。当時、すでに80歳をゆうに超えておられたにも関わらず、新しい研究分野の発展を考える先生の、好奇心というか学問への探求心というのかわかりませんが、凄さを感じました。その後、先生が中心となって、国際構造制御学会を興され、1994年には第一回世界構造制御会議がパサデナで開かれました。小堀鐸二先生がハウズナー先生の後の会長に就かれ、1998年に京都で第二回の国際会議が行われました(今、その会長を私が受け継いでおり、来年、世界会議を東京で開く予定であり、責任の大きさを感じております)。そのとき、たまたま日本でゆっくり過ごしたいということで、日本学術振興会のvisiting scholar として、2週間ほど滞在され、私がホストを務めることになりました。先ほど触れた、先生の本はすでに出ており、大変興味をもって読んでおりましたので、研究や教育のことを是非お伺いしたく、先生にインタビューをいたしました。それが1999年1月号の「地震工学ニュース」に報告として出ていますので、関心のある方は読んでください。

 そのときのインタビューで特に印象が深かったことのいくつかは、「研究は実務に生きるものでなければならない」、「私は学生にはテーマを与えない。彼らが考えつくのを、助けるのが私の役目だ」、「論文至上主義はよい研究を生まない。その意味でアメリカのTenure制は、興味から出発する研究を阻害しており、若い人には悪影響が大きい」、「若い人への期待と深い思いやり、若い人を育てることの重要さ」などです。「一番印象深い研究は?」との問いに対して、地震工学関係のものが挙がるもの予想しましたが、意外にも、カリフォルニア工大で教鞭をとる前に軍で行った流体の流れるパイプの自励流体関連振動と聞き、大変驚きました(この論文はアメリカ機械学会 J. of Applied Mechanicsに掲載されています)。私は、流体の関係する風工学を一つの専攻にしており、その振動は私の研究にも深く関係していましたので、先生にますます親近感をもった次第であります。

 図4は、東大で日米の院生による構造制御防災に関する若手セミナーに、金井先生がお見えになり、先生を交えて撮ったもの、図5は、東京に滞在中に、先生が我が家においでくださったときのもので、いずれも私にとって大事な写真です。

 私が先生とお話するようになったときには、先生はすでにご高齢でしたので、そのせいもあると思いますが、先生は大きな体をのっしのっしと動かせて歩いておられました。お話になることの一つ一つが意味の深いものでした。歳をとられても、図2の写真から感じられる精悍さや迫力をいつまでも失わない、まさしく「巨匠」を感じさせる先生であったと思います。

 先生は亡くなられてしまいました。しかし、示唆に富み、我々を導いてくださる、先生の論文や書き物にはいつまでも接することができます。それを感謝しつつ、先生が期待されていた、実務と連結した学術的な香りの高い「地震工学」の発展に寄与することが、我々の責務であると思っています。

 藤野 陽三(正会員)記


写真2
図1 ねじり振り子を利用した地震応答の計算法(ハウズナー先生の博士論文から)

写真3
図2 アメリカ土木学会から刊行された論文選集

写真4
図3 インタビューをベースにしたConnections(EERI発行)

写真5
図4 ハウズナー先生と一緒に金井清先生を囲んで(1998年夏 東大)

写真6
図5 ハウズナー先生を囲んで(1998年夏 拙宅)

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